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迎合するのが嫌なようだ だってそうやって生きた時期があって、経緯と原因はどうであれそれを後悔してるからだ。 第一、その時俺があれを読んでいたとしても吐き捨てていたがね。
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迎合して幸福を得るか?
正義は捨てるがな、多数派に逆らう少数派の正義だが
俺は幸福な道を選ぶのが怖いようだ
幸福だと思って進んだ道が、裏路地のように暗く閉ざされたものだったから?
自分を慰めて幸福を受け入れるようになっても少数派、変わり者の正義を捨てるのは嫌だ。
だってそれが正しいからだ。真理なんだよ、分かるかい? 皆が挙手して決定された後付けの正義じゃないんだ。
俺が幸福を受け入れる道を選んでも心の奥底では違和感を感じ続けるだろう。
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過大評価であってもそこそこ面白いなら俺はなぜ見ないんだ? やはり心底の反骨精神か
俺を幸福から遠ざける
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理不尽だ。もっと評価されるべき素晴らしい作品がいっぱいあるのに、大きな力によるゴリ押しとそれに巻き込まれてどんどん歯止めが効かず大きくなっていく性質のせいで、ありきたりなのっぺらとしたオリジナリティの欠落したものが、日の目を浴びるのだ。
大衆向けの主人公設定、分かりやすい(言ってしまえばワンパターン)決め台詞と戦闘、どこかで見たようなストーリー、テンプレになりつつある悲しい過去、作画ガチャ、初体験の大衆へのゴリ押し
全てが上手く噛み合った。裏で指揮を取ってる人は笑いが止まらないだろう。
別に原作がクソではないがこんな評価には値しない、それは数字を見れば明らかだ。
面白いと言うやつは同調に流された者
ラッキーパンチで調子に乗るやつとそれに迎合して評価する奴には嫌気がさして腹が立つ。
しかし、社会はそうやって回るものなのだろう。俺なんかに変えることができるだろうか。
はっきり言って嫌いだ。過大評価されている。
しかし社会はこうやって回っていく。俺らのような変わり者はクソを食わされていくしかないのだろう。
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迎合するか? ヒット狙いか? 犬にはならないと言う意味だが